皆さん、本日はご多用の中、西泉寺薬師堂落慶式に御来山御参詣いただき誠にありがとうございます。
只今、ご住職様ならびに御法嗣様により、「大般若転読」という、大変珍しい、恐らく近在のお寺では行われたことがないような素晴らしい法要によって、激しくも厳かな祝儀法会が営まれました。
そして、御参詣の皆さんには、五色の美しい糸と絹布によって、桑山の薬師さまとのご縁を結んでいただいたわけです。
皆さんが鳴らされた鰐口の梵音は、必ずやお薬師さまの御心に届いたものと思います。
さて、従前より旧薬師堂の崩壊が懸念されていたとはいえ、新薬師堂建設の事業が具体化してきたのはほんの2年ほど前の事でした。つまり、旧薬師堂の崩落は目の前に迫ってきており、新築は急務の事業になってきたわけだったのです。
当初の漠然とした薬師堂建設の案は、旧薬師堂を取り壊し、同じ場所に新薬師堂を建立するという、極めて普通に考えられる発想でしたが、住職がしばらく沈思黙考された後、「それでは普通すぎる!地域、或いは桑山・江戸崎・稲敷・茨城などという垣根を越えた、多くの人々に注目され、親しまれ、愛される薬師様そしてそのお堂にしたいものだ」と話され、この言葉に触発され、「じゃぁ、どんなお堂を建てようか?」ということになり、「朱塗り、言い換えれば緋色のお堂をみんなに見てもらえる高台に!」ということで、この薬師堂が設計され、そして今ここに建立完成したわけです。
さりながら、最初、西泉寺には資金がありませんでした。足りないのではなく、小さなお寺故全く無いのです。しかし、この窮状を見かねた篤信の方が、多額の御寄進を匿名で喜捨され、またご住職と弟さんが私財を投じて資金の礎を用意され、それを基金に、ご住職は「多分に見切り発車かな?」と話されていましたが、とにもかくにも事業は動き出したのです。
それでも、過日お配りした趣意書に書かれてありましたように、ご住職は「今回の事業で勧進寄付は募りません。この事業を温かく見守ってくださること、事業に注目し、達成を応援してくれること、西泉寺の薬師如来さまを末永くご信仰してくれることが最高最大の寄付です」と言い続けられました。
この住職の言葉に感じ入った、本当にたくさんの檀信徒様からは、想像もしなかった御喜捨が有り続けています。有り難うございます。
ともあれ、斬様な形で新堂建立が達成されたお寺は他にはありません。本当に素晴らしいことであり、この西泉寺を、この住職を、この檀信徒を私は心から誇りに思います。
長くなってしまって申し訳ありませんが、ここまでの事業を簡単に振り返らせていただきます。
- 令和3年12月10日 森川工務店様と工事契約
令和4年3月12日に工事の着手予定であったものが、県南寺務所の許可がなかなか下りず、お堂建築の趣旨が理解されるまで時間を要したということですが、一時桑山の悲願も欺く頓挫の危機に瀕しました。しかし鹿内設計士様の粘り強い交渉で、6月にようやく建築の許可が出されました。鹿内先生、本当にありがとうございました。 - 令和4年6月 薬師堂新築・境内整備事業趣意書を檀信徒に発送
- 同 6月11日 14時 地鎮祭 正式な沈支物を納めました
- 8月20日 施餓鬼会の際、世話人井戸賀信夫氏より桑山の薬師如来についてのご講演をいただきました
- 9月11日 上棟式 森川雅雄棟梁により古式に順って行われました
- 令和5年1月21日 遷座式 お薬師さまに旧薬師堂から新薬師堂に遷っていただきました
そして本日、令和5年3月25日 落慶式を迎えることが出来ました。
「新しい風を桑山の郷に爽やかに吹かせるための第一歩」、皆の悲願がここに実りました。
ご住職様、本当にご苦労様でした。これからも、ご健康にご留意いただきながら各方面でのご活躍をご期待申し上げますとともに、西泉寺のこともくれぐれもよろしくお願いいたします。
また、森川棟梁様、あなたのその卓越した技術は桑山の、西泉寺檀徒の誇りです。心から敬意を表し、感謝申し上げる次第です。
職方の皆々様も本当にありがとうございました。
そして檀信徒の皆さん、これまで事業を温かく見守ってくださって有り難うございました。今日のこの日を共に喜びたいと思います。
但、本事業は、駐車場整備その他まだまだ完遂までには至っておりません。
私は本日をもって該職を辞しますが、今後とも引き続き西泉寺整備事業にご理解ご協力の上、西泉寺を温かく見守ってください。
言葉足りませんが、本日の慶賀の御挨拶とさせていただきます。
総代代表 椎野英樹様
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